元 ザ・フェニックスホール支配人 大矢寛治さん@植田洋子とTea For Two

2018/10/17

ステキなゲストをお迎えして、楽しいトークと素敵な音楽をお届けします。
お茶でも飲みながらステキな午後をお楽しみください。
今週は、元ザ・フェニックスホール支配人 大矢寛治さんをお迎えしました。

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今年7月4日にスタジオに遊びに来てくれた大矢さん。
リスナーさんからもっと詳しくお話を聞きたいというリクエストがあり、今回再びお迎えしました!
そして前回掘り下げきれなかった大矢さんの音楽人生についてお伺いしました。

5歳くらいからピアノをやっていて、ずっと音楽に触れていた大矢さん。
6歳で上海に渡りましたが、そこでもベルギーの女性の先生に習っていたそうです。
大矢さんのおじさんは有賀 鉄太郎さんという神学者で、声楽もやっていました。
鉄太郎さんの長女ののゆりさんは有名なチェンバロ奏者でした。
有賀一家は他にも音楽に関わっている方が多く、大矢さんはそれに大いに影響されたそうです。

大矢さんは今でも行っている教会でチェロに出会いました。
メンバーの一人が古道具屋で買ってきたものが置いてあったそうです。
カルテットをしたいからやってくれないか?と言われてたまたまやってみたのが始まりでした。
それが高校生の時でした。

大学でもチェロを続けていた大矢さん。
その時の皇太子の前で演奏したこともあるそうです。
あまりにも緊張してしまって、ソロの場面は弾けなかったと大矢さんは語りました。

讀賣テレビにずっと勤めていた大矢さんは11PMをプロデュースしたり、報道、制作など色々な仕事をしました。
讀賣テレビ40周年の際、大阪国際室内楽コンクールの案を出した大矢さん。
その案がとおり、国際的に有名な音楽監督を迎える際、メニューインと直接交渉もしました。

お仕事をリタイヤされてからも6年半ほどフェニックスホールの支配人を務めていました。
それはフェニックスホールの立ち上げの時からだったそうです。
フェニックスホールはステージ後ろの壁がせり上がって、ガラス越しに大阪の街が見えるという設計です。
そのため最初は聴いている人の気が散るのでは?という意見もあったそう。
でもだんだんアンコールの時に街が見えるようになると好評だと分かってきたのだとか。

それを決定づけたのはギドン・クレーメルがフェニックスホールでピアソラの曲のコンサートを行った時のこと。
最初は照明などの技術班も決まっているから壁を上げるのは無理だという話でしたが、リハーサルの際に面白そうだからやろう!と決まったそう。
そしてその演出がアンコール曲と見事にマッチしたのだとか。
どの批評でも褒められ、お客さんにも大変評判だったとのこと。
クレーメルもインタビューで「300人のためのピアソラが、壁が開いたことにより世界中に広がった」とホールのことを褒めていたんだとか。
初代支配人として、珍しいホールの作りに苦労したことも多いが、それがフェニックスホールの大きな特徴となって良かったと大矢さんは語りました。

元ザ・フェニックスホール支配人 大矢寛治さんに選曲いただいた音楽も織り交ぜてお届けしました。 

■10/17(水)午後3時放送(再放送は10/17(水)午後9時、10/21(日)午後5時)