一つ前の生前退位・光格天皇について…内本友次さん@みんなで!ワクワク歴史(ヒストリー)

2019/04/16

wakuwaku_190416歴女でおなじみのパーソナリティー・垣内なおみがお送りする「みんなで!ワクワク歴史(ヒストリー)」。
タッキーBOX火曜日、不定期月イチ午後4時30分から、かなりマニアックな歴史トークを繰り広げています。
今回は、ゲストに箕面観光ボランティアガイド・内本友次(うちもと・ともじ)さんをお迎えし、江戸時代に生前退位した光格天皇についてのお話をうかがいました。

生前退位により、元号は平成から令和へ。
実は、歴史上で生前退位した天皇は63人もいるそうです。
病気や高齢などが主な理由ですが、上皇や法皇となって院政で実権を握り続けるといった例もありました。
光格天皇は波乱の末に即位した経歴があります。
その出自は傍系の六男で、本来ならとても皇位を継ぐ立場にはなく、聖護院の門跡という将来が定められていました。
そんな折、当時の後桃園天皇が崩御します。子どもは生まれたばかりの女の子しかおらず、皇族から婿を迎えて新天皇とすることになり、当時9歳だった光格天皇が1780年、即位することになりました。

内本さん「もし光格天皇がいなかったら、明治維新はもう少し後になっていたかもしれません」

江戸時代、徳川幕府が政治の実権を握り、朝廷に干渉する力はありませんでした。
それが変わるきっかけとなったのは、光格天皇在位中の「天明の大飢饉」でした。民の窮状を聞き、幕府へと申し入れを行った結果、幕府から救済のための食料が届けられることになります。
それまで幕府に何も言えなかった朝廷ですが、これによってもの申す道が拓けることになりました。
ロシア人ゴローニンの来航騒ぎでは、幕府へ報告を命じ、以降は重大な事件の際、朝廷への報告が義務とされるようになっていきます。
ペリー来航時に、井伊大老は無断で通商条約を結んだため、光格天皇からの前例を破ったことが問題視され、ついに暗殺されます。朝廷の復権により明治維新が成されますが、その嚆矢は光格天皇の行いであったと言えるのではないでしょうか。

「実は光格天皇、箕面とも縁があるんです」
箕面山瀧安寺の山門は、光格天皇が寄進したものだといいます。
瀧安寺は聖護院派のお寺で、もともと聖護院に入る予定だった光格天皇からの寄進もうなずけます。
37年間の在位の末、光格天皇は位を譲って上皇となります。
そのときの儀式が、今回の退位・即位に伴う儀式の参考にされているそうです。
最後に内本さんから、改元への思いを。
「新しい令和の時代は、戦争のない安寧な時代になってほしいですね」