箕面が生んだ三島海雲が生んだカルピスが100周年!…「海雲ゆかりの寺」教学寺住職・塚田博教さん@みんなで!ワクワク歴史(ヒストリー)

2019/07/09

kyougakuji-1歴女でおなじみのパーソナリティー・垣内なおみがお送りする「みんなで!ワクワク歴史(ヒストリー)」。
タッキーBOX火曜日、不定期月イチ午後4時30分から、かなりマニアックな歴史トークを繰り広げています。
さて今回は、カルピス生みの親として知られる箕面の偉人・三島海雲がテーマ。今年はカルピスが誕生してちょうど100年目に当たり、三島海雲ゆかりの寺・教学寺では、7月7日(日曜日)に記念法要が営まれました。
今回は、ゲストに教学寺住職の塚田博教(つかだ・ひろのり)さんをお招きしました。

三島海雲は1878年、当時の教学寺に生まれました。当時は村も寺も貧しく、海雲の母親は質屋や銭湯を経営することで、なんとか寺を存続させていたといいます。
その後、海雲は大陸へ渡って商売を始め、蒙古で体調を崩した時に「酸乳」のおかげで健康を取り戻しました。この「酸乳」との出会いが契機となり、乳酸菌飲料であるカルピスが誕生することになりました。
現在、教学寺の山号「水稲山」が書かれた額は、三島海雲が寄贈したものだそうです。その時、塚田さんは7歳。
「実は最初のうち、私は海雲さんにあまりいい印象を持っていなかったんです」
所詮は寺を出て行った人。そんな風に思っていたという塚田さんですが、海雲の人生を知るうちに、いつしかそれは尊敬の念へと変わっていきました。
三島海雲のモットーは「国利民福」。カルピスの開発も、より多くの人に健康を届けたいという思いからでした。晩年には私財を投じて「三島海雲記念財団」を設立し、世の中の役に立つ研究に資金援助を行ってきました。

今の自分があるのは、いろいろな人が支えてくれたから。
公の利益になるよう生きるのが私の務め。

そんな風に生きた海雲、見上げても届かない存在だけど、その生の一端でも伝えられれば・・・。
そんな思いを、塚田さんに語っていただきました。