まちのラジオ第3週 どっこい三味線&ごった煮座…懐かしい、おじいちゃん・おばあちゃんの思い出

2019/09/19

gottani_190919箕面の元気な活動グループが週替わりでお送りする「まちのラジオ」(木曜午後3時、再放送は同日午後9時、翌日曜午後1時)。毎月第3週は、「どっこい三味線」と「ごった煮座」の二つのグループが協力して番組を制作しています。

9月には「敬老の日」があります。
それにちなんで、今回は「おじいちゃん・おばあちゃんの思い出」をみなさんに語っていただきました。

●篠山さん
夏休みはいつも母方の祖父母の家へ。
おじいちゃんは背が高い人で、赤玉ポートワインを毎晩飲んでいた、あの頃にしたら粋な人でした。
おばあちゃんはあまり美人じゃなかった、というのも美人だった前妻が早く亡くなり、丈夫な後添えをと選ばれたそうです。
子どもを11人も生んだんですよ。
父方の祖父母はとても小柄で、一枚のふとんで二人で入って寝られるほどでした。
父方・母方で全然違うタイプでしたね。

●六車さん
小学校卒業まで両親と大阪で暮らしていましたが、中学校からは自分の意志で、四国の祖父母の家で暮らしました。
小さい農家で、黙々と仕事ばかりしていた印象でした。祖父は元は宮大工だったそうですけど。
あの頃はすごい年寄りと思ってたけど、よく考えたら今の自分と同じくらい。びっくりですね。

●浅井さん
父の家は大家族で、祖父母やおじさんたちとみんな一緒に暮らしていました。
おじいちゃんは新しいもの好きで、レコードも一番に買ったり、バイクやゴルフの写真が残っています。
おばあちゃんは昔ながらの大和撫子という感じで、きれいな人でした。

●熊野さん
祖父母たちは江戸時代、慶応年間の生まれ。
父方の祖父母は、なぜか長男のところへは行かずに、次男である私の父と同居していました。
母方の祖父母も、同じ敷地の離れに暮らしていました。
子どもの頃の私は、4人の祖父母に可愛がられて育ったものです。
父方の祖父は帝大出で、日本銀行の松江支店に勤務していました。
祖父も父も趣味は浄瑠璃で、相当の名手だったようです。
戦前に宗教弾圧を受けたことで知られる「大本教」、その教祖・出口王仁三郎が松江の別荘を訪れるたびに、祖父と父が呼ばれて、教祖の前で浄瑠璃を披露していました。
いつの間にか私も91歳で、自分もすっかりおじいちゃんになりました。