ガンバッテイルみなさんを応援する土曜日の「エール・マガジン」(14:15on air)に、7月15日(土)、プロレスラー ドン・フジイ選手登場!箕面五中出身です!
ドン・フジイ選手はドラゴンゲート所属。プロレスラーになる前は実は相撲の世界に10年もおられたんだそうです。相撲界を経てプロレスの道を歩んだ波乱のプロセスをお話くださいました。
まず、中学時代はバスケットボール部に入部。相撲とプロレス好きで、マンガ「1・2の三四郎」に影響を受けつつ、相撲の大阪場所にもよく見に行っていたそうです。
当時の新日本プロレスの入門規定が180cm以上だったということもあり、相撲は身長はクリアしていたので、体重を10kgほど増やせば何とかなると思い、中学卒業後、北の海部屋の門の前へ。門の前で何時間も粘り、誰かが声をかけてくれるのを忍耐強く待ちました。そしてついに声をかけてもらい、弟子入りしたいと懇願。親方に認められ、すぐに入門。10年で十両になるという目標を掲げるも思うように成績を残せず、25歳で辞めることに。
その後、親御さんが営んでいた精肉店でコロッケを揚げる日々を過ごしていました。しかし、コロッケを揚げながら、プロレスラーになりたいという思いが強くなり、相撲時代の兄弟子が天龍さんの団体にいたことで口をきいてもらい、天龍さんと面談。結果、レスラーとしてはNOでしたが、営業として採用され、ポスター貼り、宣伝カー、チケット売り、とプロレス興行の裏方専門で走り回っていました。
もう裏方でもいい、と思っていた矢先、ウルティモ・ドラゴン選手がメキシコにプロレス学校を設立。1997年4月、思い立ってメキシコへ渡り、そのプロレス学校に通い始めました。入学した翌月5月にはデビュー戦に出場。プロレスラーの道を歩み始めました。2年後、日本に帰国。当時は「スモー・フジ」の名前で活躍していたそうです。そして、ドラゴンゲートに所属し、現在に至る…
「いろいろ回り道をしたが、表舞台だけではなく、裏片を知ることができて良かった」と話すドン・フジイ選手。体だけではダメ、気持ちのある人間であれば、夢は叶うと自らの経験をもとに力強く語ってくださいました。なんとも説得力のある人生を歩まれているドン・フジイ選手。これからも、夢をもってがんばっている多くの箕面の子どもたちに勇気をプレゼントしてください!
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