まちのラジオ第2週 「演歌」の成立、その意外な歴史とは?大阪大学文学研究科・輪島裕介准教授

2019/02/14

handai_190214-1平良さん / 輪島准教授
箕面の主な活動グループが週替わりでお送りする「まちのラジオ」。毎月第二木曜は、大阪大学社学連携事業。大学と社会のつながりをテーマに放送しています。
今回は大阪大学文学研究科文化表現論専攻、音楽学研究室准教授・輪島裕介(わじま・ゆうすけ)さんをお招きして、お話を伺いました。
(聞き手:大阪大学21世紀懐徳堂学生スタッフ 平良理子さん)

輪島さんの専門は、近代の日本を中心とした大衆音楽史。
まずは演歌を例に、新しい音楽ジャンルがどのように立ち上がり、成立していくのかについてお聞きしました。
「日本の心を歌う、ずっと昔からあった音楽ジャンル」というイメージを抱きがちですが、実は「演歌」という言葉が定着したのは1970年前後のことでした。
例えば、美空ひばり。「演歌の女王」というイメージがありますが、実はデビュー当時に「演歌」という言葉は使われておらず、その後も「演歌歌手」と名乗ることはなかったといいます。
明治時代に、街頭で世相を風刺する「演歌師」がいましたが、今で言う「演歌」とは別のものでした。
時代は移り、1970年頃にはグループサウンズやフォークといった当時の若者の音楽が全盛期を迎えていました。
それらと区別するため、それ以外の日本風の古い流行歌全体を指して「演歌」というようになった・・・というのが、輪島さんの研究で明らかになりました。
「詳しくは著書に書いてあります。興味のあるかたはぜひご一読を」
■『創られた「日本の心」神話~「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史~』(光文社新書)

輪島さんが学生時代から興味を持ち続けているのは、ブラジル・バイーアのカーニバル。ラテン音楽のサークルに入ったことをきっかけにブラジルに赴き、そこでバイーアのカーニバルに圧倒されたといいます。
バイーアはブラジルの中でも黒人系の比率が高く、貧富の差も大きい地域。その中で、アフリカ系の人たちが、独自の文化を確立していきました。
カーニバルといえばリオが有名ですが、それはショーアップされたものを観客席から観るというスタイル。
それに対してバイーアでは、大型トラックに乗ったバンドが演奏する中、周りを飛び跳ねながらついていく、みんなで参加するものだそうです。

その影響もあって、輪島さんは地元で「いながわバケツ太鼓」という団体を立ち上げました。
みんなでバケツを叩いて、バイーアのスタイルで演奏し行進するというもの。子どもから大人まで、誰でも参加できるそうです。
なんだか楽しそう!

現在は「台湾」に注目しているという輪島さん。
日本の植民地時代に伝わった日本音楽や、演歌の影響もある一方、なぜかバイーア風のカーニバルが盛んでもあるといいます。
「演歌とバイーア。その両方がある台湾に、呼ばれている気がしますね」

聞き手の平良さんは、今回で番組担当を卒業します。
今後はインドネシアに留学し、民族音楽の「ガムラン」を修業してくる予定とのこと、これは帰国後にまたぜひお話を聞きたいものです。そのときまで、どうかお元気で!handai_190214-2