しあわせの道しるべ:第47回(8/11放送)北野和枝さん(タイ料理研究家/「ARTISTプリック」オーナーシェフ)

2019/08/11

『しあわせの道しるべ』(30分番組)

第2日曜 15:30〜
(再放送:同日夜22:30〜、翌月曜15:30〜)

誰にでもある人生のターニングポイント。
そのとき、何を感じ、どう選択していったのか。

フリーライター・コーディネーター 中村のりこが、
公私で出会う素敵な方々を毎月ゲストにお迎えして、
その方の人生の転機についてお話を伺っていく対談番組です。

大きな波を起こすものではないけれど、
ラジオを聞く人の心に、小さな道標ができる。
そんな番組をめざしています。

今回のゲストは・・・
北野和枝さん(タイ料理研究家)
 一軒家レストラン「ARTISTプリック」オーナーシェフ

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<北野和枝さん プロフィール>
タイ料理研究家。
牧落にある一軒家レストラン「ARTISTプリック」オーナーシェフ。

2010年の夏、ご主人の急逝をきっかけに、ご主人の好きだったタイ料理を追究。
タイ王国に飛び、竹下ワサナ先生に師事。
宮廷料理から家庭料理までを習得した後、ベトナムへも渡り、ベトナム料理も身につけ帰国。
専業主婦からタイ料理研究家に。
予約制の一軒家レストラン「ARTISTプリック」を切り盛りする一方、
料理教室講師や、月刊誌「ワイワイタイランド」へのレシピ提供など、多彩に活動中。


突然の夫の死

2010年夏。劇症型肺炎で緊急入院したご主人の本当の病名は「急性骨髄性白血病」でした。
緊急入院からわずか1週間で逝去されたご主人・・・。
すべてから取り残されたように感じて、どうしていいのか途方に暮れる日々。
落ち込んで何もできない中、体にむち打たせたのは、
まだ幼かった二人の子どもたちのこと。
「うつになってはいけない」「体を動かさなくては・・・」という思いでした。

葬儀後、2週間でパート勤務に復帰。
何かがないと動く気力が湧いてこないので、
当時、開店して間もない『西宮ガーデンズ』に出向き、
バブル時代に購入していた洋服30着くらいを2〜3着ずつ順番にリフォームに出し、あえて時間差で受け取れるようにし、
定期的に通わなければいけないように自分を持って行きました。
毎日外出する理由を作って、行動するようにしたのです。

専業主婦の頃から調理師免許を取り、キッチンも業務用にしつらえるほど料理が好きだった北野さんでしたが、料理に行き着いたのは、ずいぶん後になってからのことだそうです。
「とにかく、うつにならないギリギリのところで行動するのが精一杯だった」と振り返ります。

考える時間を自分に与えないように、仕事へ出たり、外出したり・・・。
それでも、夜は眠れない。

電源の入れ方もわからないほど、パソコン関連はすべてご主人頼みだった北野さんでしたが、「パソコンは現代の言葉である」と認識し、習得するために、まずはパソコン部屋を心地よい空間に変えるために、あえて組み立て家具を取り寄せ、眠れない夜中に、時間をかけて家具を組み立てて、少しずつ部屋をリフォームしていきました。
そうすることで、”喪に服す作業”を続けたのです。

 

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「タイ料理を作る」ということ

行動することで喪に服していた中、ついに、タイ王国に飛び、宮廷料理から家庭料理までを習得。ベトナムへも渡り、ベトナム料理も身につけ帰国した北野さん。
タイでのプロ養成コース終了時に書き綴ったエッセイには、当時の北野さんの決意がつづられています。

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2014-11-22

期待に胸ふくらませながら、スワンナプーム国際空港に降り立った夜を思い出していた。
22年前に家族旅行で訪れたバンコックは、今や色とりどりのネオンに浮かび上がる大都会に変貌を遂げていた。

あの頃、まだ子ども達も幼くて、私も三十路を越えたばかりの若さだった。
夫の赴任でアメリカに暮らしていた頃に初めて出会い感動したタイ料理を、知人から教えてもらったわずかな知識だけで作っていた。
タイからの国費留学生を招いたり、京都へ案内したり、見よう見まねのタイ料理も度々、
我が家の食卓を飾り、タイフェスティバルがあれば出かけ、タイはいつも身近にあった。
主婦の立場で友人を招き、たまに休日のブランチでソム・タムやグリーンカレーを食卓に並べて楽しむタイ料理で、私は充分に満足していたのだ。

時は流れ、子ども達も家を巣立った。
たまに帰国する娘も、日本食はそこそこに、一緒にタイやベトナム料理を食べに何度も
市内まで出かけたりするほど、エキゾチックでまろやかで刺激的なこの料理は、彼女の
ソウルフードとなっていた。
海外赴任の時には、いつでも食べたい時に手軽にタイ料理が食べられる環境だったので、夫婦でしょっちゅう食べに行ったのも、懐かしい想い出だ。
だが、家族でワイワイにぎやかに食卓を囲み、好きだったタイ料理を並べるささやかな
幸せも突然の夫の他界で叶わぬ夢となってしまった。

無防備な心に突如訪れる哀しみは、全ての感情を止めてしまう。
あの日、置き去りにされた迷い子のように途方に暮れていた私だったが、月日が経つに
つれ、逆に “あの日“を置き去りにして遠ざかっていく。

同じ地球の違う国に生まれ、同時代を全く違う環境で暮らして来たワサナ先生と私が、
それぞれの半世紀を経て出会えた今、私は予期しなかったこれからの人生を、
いつも誰かのために、そして亡き夫の喜ぶ顔を思い浮かべるために、
ワサナ先生のレシピを守りながら感謝の心で作り続けていこうと思っている。

修了証は、お二人の先生の素晴らしい御指導の賜物だ。

授与式は
バイ トーイが傍らに
ウオールフォールの水音を聴きながら
バーン・ワサナのやわらかな日差しの中で
プルメリアの花が描かれたボードの前に立ち
タムお姉さまお手製の花輪に可愛い小鳥が止まり
学校から帰ったばかりの ディアちゃんのシャッターを切る音で

極楽鳥花はりんとして咲きほこり
バナナの葉はおおらかに羽を広げ
マンゴーツリーには青い実が鈴なりに
タマリンドの木漏れ日は点描の如くちらちらと

写真を写す度に互いの体のぬくもりを感じ、私は生きている今を実感していた。

KAZUE
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「明日へ架ける橋」のエピソード

数年経って、北野さんがプロとして初めて神戸で間借り営業する前夜のこと。
不安でたまらなかった時、ふらっと立ち寄った中華料理店に入った瞬間、ある曲が流れて来ました。
それは・・・結婚式の時に、夫がどうしてもかけたいと流した思い出の曲「サイモン&ガーファンクル/明日へ架ける橋」でした。
まさしく、ご主人からのメッセージと取れるものだったのです。
(番組内でこの曲をリクエストいただき、ご紹介しました)
「今もこの歌詞のように、私を支えてくれていると思います」
ご主人のメッセージはしっかりと北野さんの胸に届いているのですね。

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もし、たった1日。夫がこの世に来ることになったとしたら、どんなタイ料理を作っておもてなししようか?

「今も、こんな気持ちでお料理を作っています。
あの頃作れなかったタイ料理も今は作れるし、
お料理には人を幸せにする力があることを知っているからね」

北野さんのタイ料理の、何とも言えない深い味わいに人は魅了されます。
「料理を食べて喜んでもらえる事が私の喜び」
その背景には、人生をかけて作る料理に込められた
愛情というスパイスがふんだんに溶け込んでいることを知りました。

タイ料理の魅力は、「辛酸甘鹹」の様々な味覚のレイヤーを重ね、
それぞれが個性を保ちながら見事に調和する。まさに宇宙そのものだと北野さん。
そして、これからも、このタイ料理の魅力を知ってもらいたいと日々活動されています。

まずは、北野さんのタイ料理の世界をぜひ味わってみてください。


<今後のイベント>

●みのおてならい
はじめてのタイ料理 作ろう 食べよう 香り豊かなアジアごはん 体験会」
8/24(土)10:30〜15:00 西南生涯学習センター
https://minohjuku.jimdo.com/20190824/


北野和枝さんからの“道しるべ”メッセージ】

00感情の赴くままにあえてしない。
理性を勝たし、体を動かし、理論を学び、
自分の今、そして、これから少し先のことを
手帳に書き出し、文字にする。
漠然とさせないことで次のステップが見えてくる。
時間はかかるかもしれませんが、少しでも力に変えていけるようになる。
そんな気がします。


生かされていることには、必ず意味がある。
生きることの意味を感じる北野さんのお話しでした。
北野さんのタイ料理の美味しさの秘密は、
溢れんばかりに込められている愛情なのだと、深く納得。
これからも、美味しくて美しいタイ料理を作り続けてくださいね♪
まずは予約!予約!・・・っと♪

北野和枝さん、ありがとうございました♪

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次回の『幸運(しあわせ)の道しるべ』は…

 9月8日(日)15:30〜
 (再放送:同日夜22:30〜、翌月曜15:30〜)
次回もお楽しみに!

(文責:中村のりこ)