あなたの声を「ロック・オン(録音)!」
“Lock On! Your Voice”
タッキーBOX金曜日、心ときめくお楽しみコーナー。
その名も「ロックオン!ユアボイス」
箕面のあちこちで出会った人の声を「ロックオン=録音」して、ラジオでみんなにご紹介!
でもいきなりマイクを向けたら、やっぱりちょっとしゃべりにくい?
そこで、毎月テーマを決めて、その質問に答えてもらい、
そこからいろいろ聞き出してくYO!いつもは箕面市内でインタビューしているけど、今回は足を伸ばしました。
1月25日(土曜日)、福岡市の西南学院大学で行われた「中村哲医師お別れ会」に参加。
中村哲さんは、1983年からパキスタンで主にハンセン病の治療を行い、やがてアフガニスタンでの診療所開設、食糧支援、井戸掘り、用水路の建設に携わってきました。その活動により、砂漠化していた大地に緑が甦り、65万人が暮らせるようになりました。
昨年の12月4日(水曜日)、中村哲さんがアフガニスタンで銃撃を受け、亡くなったというニュースが飛び込んできました。この知らせに、日本全国が悲しみ、世界からも追悼の声が相次ぎました。
中村哲さんの支援団体・ペシャワール会により、1月25日(土曜日)に開催されたお別れ会には5000人が参加し、会場に人が入りきれないという事態に。弔辞を読み上げる関係者の言葉、一つ一つに溢れる哀悼。
アフガニスタン大使のモハバッド・バシールさんは
「悔しさと悲しさで胸がいっぱい。アフガン人はみんな、今も泣いています。先生は今も、ずっとアフガニスタンの偉大な友人であり、英雄です」と、何度も言葉を途切らせ、ハンカチで涙を拭きながらのスピーチに、会場からもすすりあげる音があちこちから聞こえました。
献花の時間になりまして、中村哲さんの遺影に、参加者が順番に花を手向けます。
その数およそ数千人、とにかく時間がかかります。
その間に、参加したかたにインタビュー。●茅ヶ崎在住、おがわけいこさん
ペシャワール会で以前から中村哲さんの応援を続けてきました。
日常生活で嫌なことがあっても、
「中村哲さんは灼熱のアフガニスタンで、気温が50度にもなる中で、黙々と働いておられるんだ」
それを思えば今の自分のしんどさなんかどうってことない。そんな風に、自分の心の中の灯台であり、拠り所でした。
そもそものきっかけは、絵本作家の長野ヒデ子さんから、アフガン紛争の頃に毛布を送る活動を教えてもらって、それ以来です。
今日のお別れ会、映像も、みなさんの言葉も心にしみ入って。
やっぱり中村さんはみんなの支援をもらえる、そういう力を持っている人でしたね。決して一匹狼じゃない。結局、何かやろうと思ったらみんなの力をもらえる人でないと駄目なんだな、と思いました。
訃報を聞いたときは「ウソでしょ?」と思いましたが、同時に、起こったことなら受け入れようとも。
中村哲さんの言葉で三つ、「これだけを知っていれば世界中どこでも生きていける」というのを覚えています。
一つ目は、違いを探さないで共通点を探す。
二つ目は、寛大な心で許す。
三つ目は、されて嫌なことはしない。
この中でも、特に「違いを探さないこと」が私の課題。それを肝に銘じ、これからも中村哲さんのことを人に伝えて、ペシャワール会の仲間を一人でも増やしていきたいです。●鎌倉在住、絵本作家・長野ヒデ子さん
私はもともと福岡に住んでて、ペシャワール会の立ち上げ時から関わり、中村哲さんとは古い付き合いでした。
中村哲さんも私もクリスチャンで、その集まりに参加していた九州大学の先生が、教え子の中村哲さんを紹介してくれました。
作家の井上ひさしさんとは同じ町内に家があり、中村哲さんを井上ひさしさんに紹介して、二人の対談も実現しました。
また、中村哲さんの書籍も多く手掛けている出版社の「石風社」は、私のデビュー作を出したところでもあり、編集者が素晴らしいです。
12月4日の銃撃事件では、報道より前に電話で知らせがあり、当初は命に別状なしと言われたが結局こんなことになって…。
でも中村哲さんは、銃撃した犯人のような人たちさえも、水があり食べるものがあればこんなことはしないのだから、と活動を続け、その人たちのことも決して悪くは言わなかった。それがすごいことでしたよ。
●元現地ワーカー・中山さん
京都から来ました。いえ、住まいは大阪なんですけど。
私は2001~2006年まで、主にパキスタンのペシャワールの基地病院で会計の責任者を務めていました。そして定期的にアフガニスタンのジャララバード事務所も訪れていました。
夏は炎熱の50度、冬は極寒マイナス30度という過酷な環境で、日本のようにはいかないけれど、ずっと暮らしていれば結構慣れるものです。
私がワーカーになったのは、先にワーカーとして現地入りしていた知り合いに誘われたからです。
一緒に仕事をしながら、そばで見続けた中村哲さんは、一回一回に全力投球をする人でした。毎年、新たな事業に「これが最大のプロジェクトだ」と、とにかく全力で取り組んでいましたね。
人々が「こうなったらいいな」ということをやり遂げたのが中村哲という人でした。
ただし、彼がやったというよりは、アフガニスタンの人たちが一緒になって動いた、そのことを彼自身も伝えたかったんじゃないかと思います。アフガニスタン人が自分たちの国を自分たちで造っていくんだ、と。
もちろんその原動力は中村哲さんであり、それを支えたペシャワール会であり、そこに多くの支援を寄せた日本の人たちでした。
私たちワーカーも、中村哲さんの背中を見ながら、現地の人たちの活躍を目の当たりにし、それが住める国になっていったのは本当に喜ばしいことでした。
現地での活動を通して学んだのは、物を動かすことの難しさ。
そして、中村哲さんの「人というものは最後まで信ずるに値する」という言葉がずっと残っていて、今でも人と付き合うときに、どこかその言葉を軸に動いていることがあります。
ペシャワール会はもともと「中村哲の活動を応援する会」だったわけですが、その遺志を受け継ぎ活動を続けていくことが決まりました。しばらくは仕切り直しで大変ですが、これまで同様に粘り強く動いて、私もそれを支援していきたいです。
献花の列は途切れることなく、延々と続いていました。
遺影に目を閉じ手を合わせ、深々とおじぎする人たち。
その後、遺族のみなさんに、心のこもった一礼をして、人々は退出していきます。
深い悲しみ、怒り、そしてその死を無駄にしてはならない。
さまざまな思いをみんなで共有する、そんなお別れ会でした。
■ロックオン!ユアボイス
放送日時:毎週金曜午後4時30分/翌月曜朝7時25分(番組「タッキーBOX」内)