まちのラジオ第3週 どっこい三味線&ごった煮座…卒業の思い出を語ろう

2020/02/20

machi3_200220-1箕面の元気な活動グループが週替わりでお送りする「まちのラジオ」(木曜午後3時、再放送は同日午後9時、翌日曜午後1時)。毎月第3週は、「どっこい三味線」と「ごった煮座」の二つのグループが協力して番組を制作しています。

今回のお題は「卒業・別れ」。
それぞれの思い出を語ってもらいました。

●熊野さん
自分が小6のときは太平洋戦争の直前で、卒業式のとき「見よ東海の空高く・・・」と軍歌を歌わされました。
子ども心に、なんでこんな歌を?と疑問に思いました。
時代は変わって現代、地域の小学校の卒業式に来賓として招かれたときのこと。
一人の先生がずっとうつむいていて、体調が悪いのかと思って見ていたら、それは身をよじるように泣いていたのです。
6年生たちもつられるように泣き始め、こちらももらい泣きしました・・・。
ここで、卒業についての一句。

校門の落書き消して卒業す 鳥湖

●加納さん
卒業することよりも、次のことを考えてたから。あんまり泣かなかったなあ・・・。

●倉根さん
中高一貫校に通ってました。卒業では、あんまり泣いた覚えがなかったなあ・・・。

●篠山さん
中学のときはクラスメートと「絶対泣かないでおこうね!」、泣いたらコーラ一本・・・なんて言ってました。
高校は歌を大事にする学校で、卒業の歌で泣きましたね。
子どもが通う学校ではPTAの役員を務め、卒業時の謝恩会の担当になりました。
当日になって、司会進行役の保護者が急きょ休み、いきなり代役を振られてあたふた。
我が子の卒業の余韻に浸るひまもなく、その場で進行を考え、なんとか乗り切ったけどそりゃあ大変だったんだから!

●浅井さん
小学校のときから、息子がすごくやんちゃで、先生を困らせていました。
卒業式の後、女性の担任から
「中学校へ向けて、しっかり見ていてあげてください」
申し訳なくて思わず涙が・・・。

●柴田さん
小学校の教師をしていた頃は、卒業式で泣くこともありました。
後日、卒業した子どもたちから「先生、あのとき泣いとったやろ」
「泣いてへんわい」
でも、子どもたちはそれが嬉しかったのだそうです。
「違うわい。前の日にパチンコで負けて泣いてたんや」
定年で退職で職場を去るときは、職員室で大泣きしました・・・。