畳職人 豊田仁さん登場!@エール・マガジン

2021/01/09

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ガンバッテイルみなさんを応援する土曜日の「エール・マガジン」(14:15on air)
2021年1月9日(土曜日)は、畳職人 豊田仁さんをお迎えしました。
 
 豊田さんは、尼崎にある「とよだ疊店」の五代目。
作務衣姿でスタジオに現れた、その、男前でシュッとした容姿からは、初めは畳職人さんだとは想像もつかない印象でした。
でも、お話を伺うにつれ、畳との縁、畳職人になるまでのストーリー、畳に対する思い、畳愛は、熱く深まっていきました。
 創業から百余年続く畳店に生まれた仁さん。学生時代からバンドのボーカルとして活動し、将来は音楽関係の道へ進みたかったといいます。
畳職人のお父さまはそんな仁さんに「好きにやったらいい」と、畳屋を継ぐことを強要はしなかったそうです。
というのも、実はお父さまもドラマー。しかも和田アキ子さんのバックで叩く、プロのスタジオミュージシャンだったとか。
そんなお父さまですが、やがて音楽の道を辞め、畳店を継がれました。
なんと、仁さんが音楽の道から畳職人をめざすことになったタイミングや年齢は、お父さまのときとほぼ一緒だったそうです。
世間知らずのまま職人になるのはよくないと、仁さん自らサラリーマンも経験します。そして、職人として働きだした頃、お母さまに続いてお父さまが他界。仁さんが一人前になる姿を見ることなくご両親は旅立たれてしまいました。
 そこから仁さんは、尼崎の畳組合のかたたちに、技術はさることながら、お客さんとの会話や接し方まで全て叩き込んでもらい、いわば修業の日々を過ごし、夜は寝る間も削って資格のための勉強を重ね、一級畳製作技能士という国家資格を取得。
名実ともに畳職人として、五代目として走り出しました。
 現場へ出ると、お客様を通じて、お父さまの仕事への姿勢を知る機会が多いと言います。技術はさることながら、人柄が大事。お父さまはお客様に愛されていたとひしひしと感じる瞬間だそうです。
 「日本人にもう一度畳の良さを知ってほしい。そのために自分が伝道師となって伝えていきたい」。五代目の畳への愛が、静かに、そして熱く伝わってきました。
 そして、いつかお父さまを超える畳職人として、五代目の物語はまだまだ続きます!