「ポルトガルのファド〜人生を愛して〜」@第603回Monthly国際交流コンサート

2021/12/19

 毎月第3日曜日の午後2時から4時まで、サンクス箕面2番館地下1階のサテライトスタジオから公開放送でお送りしている「Monthly国際交流コンサート」。
クリスマスが近いということで、ステージにはクリスマスツリー、MCのカウンターにはピカピカ光るサンタさんがゆらゆらと踊っているというホリデーな雰囲気が漂う2021年12月は第603回「ポルトガルのファド〜人生を愛して~」津森久美子さんと上川保さんによる演奏をお送りしました。
03 Marujo Português (ポルトガルの水夫) という最初の歌の後に、津森さんから「ファド」という音楽について簡単な紹介が。
ファドはポルトガルの首都 リスボンの音楽で、200年くらい前に元の形が出来上がったと言われているそうです。
私もコンサートの前にファドについて調べていると「大航海時代に海へ出た人を待つ女性の歌として広まった」という説を目にしたのですが、実はこれは間違いで、大航海時代にはまだファドは存在していなかったそうです。
さらに海に出た人を待つ側ではなく、海に出る船乗りたちが小さな楽器を手に、船の上でもう二度と帰れないかもしれないという切なさを歌っていたものが、新大陸で奴隷として連れて来られたアフリカ系の人たちの音楽と混ざり、リスボンに戻って来ると今度はイギリスの音楽が入って来て、ポルトガルギターとの今の形になったというのが大まかな流れだと仰っていました。
ファドは人生のことや大好きな街のこと、失ってしまったさまざまな想い(サウダーデ)を、「生きていくため」ー自分を愛して、人を愛して、また明日も頑張ろうというエネルギーにするために歌う音楽だそうです。

 ポルトガルギターの音色がすると、国際広場には一気に異国の雰囲気が漂い、津森さんが1曲1曲お話しされる、どんなことを歌っているのかという歌の内容や、ポルトガルの街のお話と一緒にファドを聴いているとポルトガルの風景が目の前に広がってまるで自分がポルトガルにいるような気持ちになりませんでしたか!?(ポルトガル行ったことないんですけどね。笑)

 ポルトガルの人たちは自分たちの街やおうちが大好きで、家族を何より大事にして、人と会うこと、一緒に食卓を囲むことをすごく大切にする。だから最近の状況だとそれを失ってしまった悲しみは計り知れなくて、それでも明日も生きていかないといけない。でも悲しいから今は歌う。ファドに抱かれながら悲しみをみんなで共有して小さくして、喜びはもっと大きくして歌う。というのがファドのひとつの知恵であり、生きる力だと理解している と津森さんは仰っていました。
02  ゲストインタビューのコーナーでは津森さんがファドを歌うようになられたきっかけを伺いました。ズバリ一言でいうと、「人に誘われて」!
津森さんはファドを歌い始めて17年になるそうなのですが、当時日本ではファドを専門に歌う歌手が、以前にMonthly国際交流コンサートにも出演されたことがある、故 月田秀子さんくらいだったそうです。
そんな中これから日本ファドの歴史を作っていこうと活動されていたポルトガルギター奏者の方の目に留まった津森さんに声がかかり、それまで津森さんは舞台女優としてミュージカルなどに出演されていたのですが、高校生の時からポルトガルギターを使ったインストゥルメンタルデュオであるマリオネットさんの音が大好きだったということもあり「好きな世界だ!」と感じ、ファド歌手としてのキャリアをスタートされたとお話いただきました。

 上川さんにもポルトガルギターについて少し伺いました。普通のギターは弦が6本なのに対して、ポルトガルギターにはその倍の12本弦があるので、それだけでめちゃめちゃ難しそうなイメージを持っていたのですが、”12弦”ということは問題ではないと聞いて、ビックリ!調弦が普通のギターと違うところが難しいのだそうです。
そしてポルトガルギターの演奏はほとんどアドリブだということにもビックリ!!ファドはジャズなんかと同じように、型はあるもののアドリブで歌い、演奏される「その瞬間のファドを生きる」音楽なんですって。

 今回、日本でも名前が知られているNaufrágio (難船) やBarco Negro (暗いはしけ)、そのほかにも数曲はポルトガル語の歌詞半分、津森さんが訳された日本語の歌詞半分で歌われていたのですが、歌の説明を聞くだけじゃなく、日本語で歌ってもらえるとよりファドを近くに感じられるような気がしました。
 
半分日本語で歌われた曲の中で、特に印象深かったのが、「私と生きるファド」という歌。
この歌の詩は、津森さんにとって”ポルトガルにおける母”である、ポルトガルで津森さんが出演していたお店の女性オーナーさんが、ファド歌手として10周年を迎えた津森さんにプレゼントしてくださったそうなのですが…
「私と一緒に生きて
とある日ファドが言ってくれた
だから私は空っぽの人生をやめた」
という冒頭の詩を読んで、この歌を歌う覚悟はまだ無い!と雷に打たれたような気持ちになったそう。その後ご結婚され、何を原動力に歌ったら良いか分からなくなり、ファドを歌えないスランプに陥った時に、「今、この歌を歌う覚悟をする時なんだ」と思い、詩をもらってから約3年後に「私は日本でファド歌手として生きて行く」という覚悟とともに歌うようになった大切な歌だそうです。
津森さんが家庭を持ち、家族と生きていきながら、ファド歌手という仕事に誇りを持って生きているように、この歌が多様な生き方の応援ソングになればいいなと思いながら歌っている仰っていました。
私は津森さんのお話にすごく共感したというか、純粋にかっこいいなと感じて、私もそんな風に生きていきたいなと強く思った1曲でした。

 またお聞きくださいワイン殿(Oiça lá Ó Senhor Vinho) という歌は”ワイン伯爵”に「なんでこんな善良な市民を酔わせるんですか!?」と文句を言う歌で、その文句にお答えになるワイン伯爵の部分をなんと大阪弁で歌われていました!長崎弁や名古屋弁バージョンもあるそうですよ^^ 本場リスボンでは飲食店でファドのライブをやっていることが多いようなのですが、この歌の最後にはSaúde! (乾杯!) と声を上げる部分があるので、この歌をみんなで歌って乾杯してさらに盛り上がっていく様子が目に浮かぶようでした。リスボン行ってみたい!

 1曲だけ、2歳6カ月の娘さんがいらっしゃる津森さんが妊娠中に歌いたいと思われたというポルトガルのポップスも歌われました。Para Ti (君へ) という曲で、Luisa Sobral (ルイーザ・ソブラル) というポルトガルの歌手の方が妊娠中に大きくなるお腹を撮影しながら歌った曲だそうです。(YouTubeにその曲のMVがありますよ♪) 今回はそれをポルトガルギターのアレンジで、全て日本語の訳詩で歌われたのですが、とてもあたたかい演奏で印象に残りました。

 他にも「クリスマスじゃない日も世界中が平和でありますように」と言う想いが込められたÉ Natal (クリスマスが来た) と言うクリスマスのファドなど、たっぷり3ステージ、ファドを堪能した2時間でした!
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 今回も寒い中、たくさんのお客さんにお越しいただき、ありがとうございました♪
国際交流コンサートの会場は吹き抜けの地下にあり、1月2月とまだまだ寒い中での開催になると思いますので、会場へはカイロをたくさん貼り付けて、たくさん着込んで、寒さ対策万全でお越しくださいね☆
※コロナの状況でステージ前にお越しいただけない場合があります。

■Monthly国際交流コンサート:毎月第3日曜午後2時~4時生放送
(再放送 当日午後9時~11時、翌月曜午後2時~4時)