箕面の元気な活動グループが週替わりでお送りする「まちのラジオ」(木曜午後3時、再放送は同日午後9時、翌日曜午後1時)。毎月第3週は、「どっこい三味線」と「ごった煮座」の二つのグループが協力して番組を制作しています。
これまで、ごった煮座の一員として番組に参加してきた熊野禮助(くまの・れいすけ)さんが、6月25日(土曜日)に94歳でお亡くなりになりました。
島根県出身で、グラフィックデザイナー、俳人など多彩な顔を持つ熊野さん。特に、箕面にまつわる民話を採集し、まとめた功績は大きく、もし熊野さんがいなければこれらの民話は消えてなくなっていたかもしれません。
箕面きっての文化人、そう呼ぶにふさわしい熊野さんですが、とても気さくなお人柄で、お茶目でチャーミングなところもあり、多くの人から慕われてきました。
ごった煮座の舞台にも長年関わり、脚本などを担当してきた熊野さん。思い出は到底語り尽くせませんが、時間のゆるす限り、みんなで語りましょう!
●篠山さん
ごった煮座の舞台に一番最初に参加したときに、熊野さんから「あなたには『お軽』(「仮名手本忠臣蔵」のヒロイン)をやってほしい」と言われたのが心に残っています。私はごった煮座のメンバーではなかったので、辞退しましたけど・・・。
熊野さんは配役を決めるとき、考えに考え抜いて決めておられました。私たちどっこい三味線にも、必ずふさわしい役を作ってくれました。
●浅井さん
私も同じ舞台に出演して、それが熊野さんとの出会いでした。
タッキーの収録で、熊野さんの送り迎えもよくさせてもらいました。
電動シニアカーでよくあちこちお出かけされていて、びっくりするくらい遠くまで来られていました。
ごった煮座のメンバーでは、作曲を担当していた周野朋子さんが、この7月にお亡くなりになりました。
作詞:熊野禮助、作曲:周野朋子のコンビで生み出された歌曲の数々、それはまさに珠玉と言うにふさわしい名作揃いでした。
●生井さん
「政の茶屋夕しぐれ」という舞台で、茶屋のおじい・おばあ役で、熊野さんと共演させてもらいました。
そのとき、この人本当にお芝居が好きなんだなあって・・・。
当時から熊野さんファンのご婦人がたも多く、客席から黄色い(?)声援が飛んでいました。
お茶目で面白く、お洒落なかたでしたね。
●小野田さん
「山頭火」の舞台稽古、セリフを覚えるのに苦労していた私に、和紙で小さな帳面を作ってくれた熊野さん。山頭火の二句が書かれていて「他のセリフも書いておくといいよ」と言ってくれました。
本当はシャイだった熊野さん、もっと一緒にお話ししたり、お酒を飲みたかったです。
●栗田さん
笑い・励まし・やる気の固まり、そんな人生の先輩。サルの着ぐるみ姿での演技、客席を見てにっこり笑う姿は最高でした!
●柴田さん
1989年にごった煮座を旗上げしました。その当時、箕面の民話の冊子を見て「これを芝居にしたい」と、1996年に熊野さんを初めて訪ねて行きました。
「男前やなー!」というのが、お会いした第一印象。その後、仕事で落ち込んだときによく食事に誘ってもらって、どれだけ救われたか。六車さんと一緒に、3人でこの辺の銭湯に行き倒したりも。
公演が終わって、使った大道具は一旦熊野さんの家に持って行きました。焼却するため、業者がトラックで引き取って行くのを熊野さんと二人で見送りながら、なぜかわからず涙があふれたものです。
●人見さん
30歳以上歳の離れた、お茶目なお友だちでした。以前の職場から、よく電動シニアカーで通りかかるところをよく見かけました。「あんたがいるかな、と思って、いつも手を振って通るんや」と、ウインクしながら顔をくしゃっとさせて笑っていました。私もいつかそっちに行くから、待っててねー!
※ちなみに、熊野さんは愛車の電動シニアカーを「ベンツ」と呼んでいたそうです・・・。
みんなに愛され、慕われていた熊野禮助さん。これまで本当にありがとうございました。
天国にも、ラジオの電波は届くのかな。
届いたら、これからも番組で、みんなの声を聴いてくださいね。