手作りヨット「希望号」で6年かけて世界一周!藤村正人さん・恭子さん@植田洋子とTea For Two

2025/06/18

TFT_250618aステキなゲストをお迎えして、楽しいトークと素敵な音楽をお届けします。
お茶でも飲みながらステキな午後をお楽しみください。
今回は、箕面市在住のご夫妻です。

藤村正人(ふじむら・まさと)さん
藤村恭子(ふじむら・きょうこ)さん
(粟生間谷東で藤村動物病院を経営)

お二人はおよそ40年前、日本の冒険史上に残る大冒険を繰り広げました。

手作りヨット「希望号」で6年かけて世界一周

きっかけは、正人さんが16歳のときに出会った一冊の本でした。
青木洋『海と僕の信天翁』
それは、手作りヨットで世界一周を成し遂げた冒険の記録。
大きな感銘を受け、青木さんが出港したという港まで自転車で行った正人さんは
「いつか僕も、手作りヨットで世界一周しよう」
そんな大望を抱くのでした。

そこから夢を実現するために、正人さんはまず獣医をめざします。
「世界一周に出る時は、それまでの仕事を一旦辞める必要がある。それなら、帰って来てからでも働き口があるよう、何かの資格が必要と思ったからです」
北海道の獣医学科のある大学へ進学し、猛勉強の末、22歳で獣医師の資格を取得。
北海道で馬や牛の獣医として働きながら、給料はヨット製作のためにそっくり蓄える日々が続きました。

恭子さんが正人さんと出会い、交際を始めたのは、実際にヨット製作が進んでいた頃でした。
「手作りヨットで世界一周をするのが夢なんだ」
へえーそうですか。すごいですねー。
話半分に聞いていた恭子さんですが、姫路の畑の中のビニールハウスで、ヨットを見てびっくり。
この人、本気なんだ・・・!

それは全長7.4メートルの、ごく小ぶりなヨット。
一般的なヨットの半分しかありません。
それでも正人さんは5年間、連日深夜までかかって作業を続けたといいます。
そうしてついに完成したヨットは「希望号」と名付けられ、1991年5月3日、正人さんと恭子さんが結婚式を挙げたその日の午後、姫路から世界一周の旅へ、ついに大海原へと乗り出したのでした・・・!

恭子さん「と思いきや」

ハワイのホノルルにまっすぐ向かうのかと思ったら、正人さんが
「何か疲れたからいっぺん帰る」
姫路の隣の高砂港に停泊し、一旦帰宅するという・・・。
その後も、出航3日後に停泊した港で沈船に接触して沈没したりと、アクシデントに見舞われる希望号。
くじけずに引き揚げて修理し、ようやく太平洋へ。

ハワイまでは50日の予定でしたが、なかなか到着せず。
本当に着くのかな・・・と思っていた、ある夜。
「あーっ!光った!」
真っ暗な夜空を微かに横切る光の線。
それはハワイの灯台の光でした。
「生きてる!と実感して、震えるほど感動しました」TFT_250618d海上では、ずっと二人きり。
水は貴重で、食料もずっと缶詰だったり。
それは相当なストレスが溜まる日々で、無線機でごくわずかな時間の外界との交信が、唯一の楽しみだったといいます。
「行く先々の島や国で出会いがあるから、やってられたと思います」

そうしてたどり着いた、南太平洋の島。青い海とサンゴ礁は、まるで天国のよう。
そんな島で出会った女性から、恭子さんは
「妊娠してるでしょ」
と言われます。
調べてみて、本当に懐妊していることがわかりました。
「子牛なら取り上げたことがあるよ」という正人さんですが、そういうわけにもいきません。
取り急ぎ、空港のあるクリスマス島をめざしましたが・・・。
「前日に嵐が来て、島の銀行の屋根が吹っ飛んでまして」
その影響でトラベラーズ・チェックが使えないことがわかります。
ここに来て、ついにブチ切れる恭子さん。
「このままこの何もない島で、ずっと過ごすんかい!」
怒り心頭に発して、希望号からまだ波の荒い海に、ざんぶと身を躍らせたのです。
この海域、サメがうようよしてるのに・・・!
正人さんを船に残し、恭子さんはそのままクリスマス島に泳いで上陸。
その後、親切な島の人の助けもあり、恭子さんはオーストラリア経由で帰国し、無事に女児を出産することができました。TFT_250618c正人さんはその後も単独で航海を続け、恭子さんは寄港地へ飛行機で向かい、生後間もない娘を正人さんに会わせるのでした。
その後もイエメン沖で猛烈な腹痛に襲われたり、スエズ運河でエンジンが故障し立ち往生してるところへ巨大タンカーが迫ってきたりと、とんでもないハプニングの連続。その都度、助けてくれる存在が現れ、奇跡的に航海を続けることができました。
こうして手作りヨット「希望号」は6年間に及ぶ旅の末、とうとう世界一周を果たします。
その記録を、正人さんと恭子さんはそれぞれ本として出版しています。

『希望号の大冒険』(藤村正人・著/舵社)
『ふたりだけの風と海』(藤村恭子・著/長征社)

最後にたどり着いた沖縄の港で、台風に遭って沈没した希望号。
引き揚げたときにはもうボロボロで「粗大ごみとして焼却するしかないですね」
もう仕方ないのかな・・・あきらめかけていたら、なんと引き取り先が見つかり、最終的に長崎県の佐世保市で希望号は陸上展示されることになりました。
波乱万丈の道を歩んだ希望号は、その後末永く、人間の可能性を、訪れる人たちに示し続けたのでした・・・。

この航海を元に、恭子さんはラジオドラマを制作。
YouTubeでも公開しています。
ラジオドラマ「風の向こう 第1話」

一度の出演では到底語りきれない、想像を絶する冒険の日々。
正人さん、恭子さん、ぜひまたお越しいただいて、お話の続きをお願いします!
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