
5月12日の放送では、大阪大学副学長・理事の工藤眞由美さんをゲストにお迎えしました。
大阪大学のトップは、総長。その下の、ナンバー2に当たる理事・副学長は8人で、各分野の業務を分担しながら総長を支えています。
工藤さんの担当は、男女協働推進と、社学連携。
この番組は「社学連携」がテーマなので、まさに関わりのある工藤さんなのでした。
<略歴>
愛媛県出身。
東京大学人文科学研究科修了後、大阪大学文学研究科教授、大学教育実践センター長、男女共同参画推進オフィス特任教授を経て、現大阪大学理事・副学長。
「ちょっと待って」と工藤さん。
「これだけ聞いたら、いかにも順調に進んできたように思えますよね。
とんでもない、どれだけ大変だったか!」
学生結婚の末、大学院生のときに出産。
子どもを預ける保育園が見つからず、それは難儀しました。
当時、女性が大学で職を得る道は「ほぼ閉ざされていた」そうで、申請すら受け付けてもらえないことも。なんとか面接までこぎつけても、いざ行くと「なんだ、女だったのか」と追い払われる…「眞由美」という名前の男性と思われたようです。
その後、なんとか職を得ることはできたものの、二人目の子どもが大病を患います。
もう、仕事を続けていくのは無理。辞めて看護に専念するしかない。
そんなとき、子どもが入院した病院の看護婦長さんが、工藤さんにこう言いました。
「仕事は必ず続けなさい」
この子の病気は、長いことかかる。看護だけを延々と続ける日々に、きっと耐えられなくなる時が来る。
細々とでもいい、仕事は続けなさい…。
工藤さんはこの一言に救われました。
仕事は10年遅れでいい、と割り切った工藤さん。やがて奇跡的に子どもが病気から回復し、仕事に専念できるようになりました。
あのとき、婦長さんの一言が無ければ、今の私は無かった。本当に、いろんな人に支えられてここまで来れた、と振り返る工藤さんでした。工藤さんの専門は日本語学で、方言の研究を続けてきました。日本のみならず、世界中を飛び回って方言の調査を行ってきたといいます。
その研究をまとめた著書が「現代日本語ムード・テンス・アスペクト論」(ひつじ書房)。
これにより、工藤さんは2014年度「新村出賞」を受賞しています。
おめでとうございます!
ちなみに、新村出(しんむら・いずる)は、工藤さんによると「関西屈指の文化人」とのこと。
うーんと、どこかで見たようなお名前ですが…。
ひょっとして、これですか?
「広辞苑」
そうそう、広辞苑を作った人なのよ、と工藤さん。
確かに、広辞苑のタイトルの上に
新村 出編
と書かれています。
…これって、「しんむら しゅっぺん」じゃないんですか!?
出編=しゅっぺん、という何か辞書の編纂を表す用語みたいなのがあって、それだとばかり思ってました。
工藤さん「ええーっ、そんなこと、考えたこともなかった!確かに、言われてみればそう見えますね!」
思うに、区切りのスペースの位置がよくないのでは。
「新村 出編」ではなく「新村出 編」にするべきかと。
アハハ、傑作!岩波に今度言っておくわ、と笑う工藤さんでした。

放送では工藤先生の激動の人生についてたくさんお話ししていただきました。
女性の社会進出が容易ではなかったことがひしひしと伝わってくるエピソードは今では想像できません。大学の学部さえ両親との折り合いをつけるために女子大の文学部を選んだとか…。でも、その女子大で新しい世界が広がり、今考えると人生の基礎が作られたそうです。
時間を有効に活用する秘訣はずばり「朝型」にすることだそうです。僕も受験時には朝型にしていた気がしますが、今では完全に夜型になりました。やはり、朝は能率があがるそうです。ご参考になればと思います。
そして、ドイツのテュービンゲンでのお話し。大阪大学の理事になるかどうかを決心されたきっかけをお話しいただきました。ドイツでは女性の単身赴任なんて当たり前!と一蹴されたとか。また、ドイツの大学では「こども大学」など地域社会と大学との双方向の支え合いがみてとれる活動が活発で驚いたそうです。
次に、僕自身あまり知らなかった理事について。工藤先生が男女共同参画や社学連携担当なこともあって、工学部に女性を増やしたいという話に…。ぜひとも増えてほしいものです!!僕の学部はもう手遅れ感がありますが、下の世代でも女性の工学部が増えてほしいです。
最後にボリビアで命の危機を感じた場面。壮絶な経験をお話しいただきました。日本では絶対に経験できない体験なので僕も海外にもっと行きたいと思いました。